13. 108
こんばんは。
最近色々ついていないステフです。
なんというか、自分のせいというのはわかっているのですが、目上の人に何か注意されたときに、謝ってはいるのですが
内心素直に自分の過ちを認められない自分がいるのを感じています。
昔はそんな人間ではなかった気がするのに、多分何も知らなかったから失敗からいろいろ吸収するしかなかったから
カラカラのスポンジが水分を含んで膨らむ感じ
だけど今の自分はもう水分が入り切らなくて水が入るのを拒絶している感じ。
まだまだ知らないことも想像できないほどにあるけれど
ある程度知りつつある
それを元に自分の価値観が作られて
それに合わない意見を押し付けられたり、特に目上の自分よりもずっとずっと大変な思いをして学んできた先人に言われると、何も言い返せないし
すんなり従うしかないのですが
何故自分はこんなにもプライドが高い人間になってしまったのか。。。
と残念に思い悔しいです。
ただこの思いは大事だと思っていて
怒られたことに対してもっともっと強くなる、きっと言い返せるくらいにまでビッグになるぞ
なんてやる気が出てしまうので
決して悪いものではないなと思います。
勿論この失敗が今後生きてくることは確実なので。
煩悩というよく大晦日の夜に除夜の鐘を108回(煩悩の数)だけ鳴らして煩悩を無くそう
という煩悩というのは仏教用語で、心身を悩ませる要因つまり、妬み、怒り、無知などがありますが
お坊さんたちはこの煩悩のない世界、涅槃を目指して日々辛い修行を積んでいます。
ただ私は煩悩のない世界などつまらないと思います。
煩悩は決して悪いものではなくて
ある人に対する嫉妬があるからこそ、エナジェネティックに過ごすことができるという風に考えると
人間に向上心を与えてくれる煩悩は
大事にしていきたいものです。
ただ、暴れすぎないように。
では。